新府城(長野県) 27.3  indexへ
         
 中部最後の訪問地、新府城跡。
 この城の名前を御存じない方が多いと思います。
 武田氏最後の城です。
 長篠の戦で敗れた武田勝頼はに躑躅(つつじ)ヶ崎館(甲府市)からここに居城を移しました。
 武田氏の領地が信濃まで拡大していたことと、織田信長の侵攻に備えることがなどが理由
 のようです。

 しかし、木曽義昌など有力家臣が次々に離反。
 この城を捨てて小山田信茂の居城岩殿山城に向かいますが、信茂の謀反に遭い、天目山
 (甲州市)の山中で自害することになります。武田氏の滅亡です。
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 新府は無人駅
 降り立っても何もありません。
 どちらへ行ったらよいかわからず、一緒に降りた老婦人に尋ねましたが、ここの人でないので
 わからないとのこと。
 途方に暮れてウロウロしていたら・・・天の助け・・。
 先ほど道を尋ねた老婦人の迎えの車が、わざわざ私のところに近寄ってきて、遠回りになるが
 城跡入り口まで送って下さるとのこと・・・感激してしまいました。旅先での親切は本当に有難い。

 坂道を上って本丸を目指していたら、前方をいく団体がありました。
 「小牧歴史・・の会」と書かれた小旗が見えました。
 
 馬だし
  城の内部や隠した馬が見えないようにしたもの。
 本丸跡
  眺めが素晴らしく、要害の地でここに城を築いた理由がわかりました。
  武田勝頼公の霊社がありました。
 帰路に本来の参道発見!
  鳥居のある参道がありました。こちらが正規の道なのでしょう。急な石段が続いていました。

 駅への帰り道
  歩いていたら、富士山が見えました。好天のもと、雄大な姿を見せていました。
  のんびりした信州路を歩いて、旅の人の気分を満喫できました。