中部最後の訪問地、新府城跡。
この城の名前を御存じない方が多いと思います。
武田氏最後の城です。
長篠の戦で敗れた武田勝頼はに躑躅(つつじ)ヶ崎館(甲府市)からここに居城を移しました。
武田氏の領地が信濃まで拡大していたことと、織田信長の侵攻に備えることがなどが理由
のようです。
しかし、木曽義昌など有力家臣が次々に離反。
この城を捨てて小山田信茂の居城岩殿山城に向かいますが、信茂の謀反に遭い、天目山
(甲州市)の山中で自害することになります。武田氏の滅亡です。
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新府は無人駅。
降り立っても何もありません。
どちらへ行ったらよいかわからず、一緒に降りた老婦人に尋ねましたが、ここの人でないので
わからないとのこと。
途方に暮れてウロウロしていたら・・・天の助け・・。
先ほど道を尋ねた老婦人の迎えの車が、わざわざ私のところに近寄ってきて、遠回りになるが
城跡入り口まで送って下さるとのこと・・・感激してしまいました。旅先での親切は本当に有難い。
坂道を上って本丸を目指していたら、前方をいく団体がありました。
「小牧歴史・・の会」と書かれた小旗が見えました。
馬だし
城の内部や隠した馬が見えないようにしたもの。
本丸跡
眺めが素晴らしく、要害の地でここに城を築いた理由がわかりました。
武田勝頼公の霊社がありました。
帰路に本来の参道発見!
鳥居のある参道がありました。こちらが正規の道なのでしょう。急な石段が続いていました。
駅への帰り道
歩いていたら、富士山が見えました。好天のもと、雄大な姿を見せていました。
のんびりした信州路を歩いて、旅の人の気分を満喫できました。 |