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12時出発 17時到着
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宿泊したホテルサンルート
駅まで5分程という立地条件のよいところである。
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阿武隈川沿いの遊歩道
次の日のマラソンに備えて適当な場所を探してい
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川俣町の体育館
早めに着いた(福島から30分ちょっと)ので開会式にも出た。町長をしてい る方が、以前このクロスカントリーの役員をしていたというのは興味深い。 |
高台にあるので、スタートしてからかなり坂を下ることになる。500メートル
くらいであろうか。その後左手(体育館裏側)に向かい、死の登り坂が始ま る。写真は帰りである。 |
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この町に入った瞬間から嫌な予感はしていた。起伏に富んだ町である。
クロスカントリーが単純なマラソンでないということに気がつかないほうが 悪いのである・・・・。 |
この町は古くから絹の町として有名であった。道の駅になっている「シルク
ピア」 。隣に「かわまた織物展示館」があった。(時間の関係で探訪出来な かった。) |
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古関裕而記念館
ここで小関裕而と出会えたことが嬉しい。この館内に流れる数々の懐かし い曲を聞いて「目から鱗が落ちる」思いがした。約5000曲を作曲したという が、その一つ一つの曲は、詩を最大限に活かしながらも、作曲者の想いが 如何なく発揮されている。 詩を深く読み切り、そして独自の作曲をするいう小関裕而独特の音楽哲学 が存在するような気がする。 言いたい言葉があって、その言葉にメロディーを当てはめるだけ・・・・・曲
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小関裕而の書斎
驚いたことに、書斎をそのまま移設したというこの一角に楽器がない。 楽器なしで作曲していたのである。考えてみればこれほどの作曲家で ある。書斎にいて、考えついたメロディーをそのまま記譜できたのである。 (絶対音階を持っていたので) ところで、小関裕而は、戦前に勇ましい軍歌をたくさん作曲したということ
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文字摺石が福島にあるのを知らなかった。古今和歌集に、左大臣源融と虎
女の悲恋を詠んだ「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれそめにし 我な らなくに」の句があり、都人は歌枕として、みちのくに想いを馳せた。 |
松尾芭蕉が、この地を訪れ、「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」の句を
残した。この句は左の主審の奥の方にある。 文字摺石は、拝観しなかった。 |
この入り口右側に松尾芭蕉の像があった。 | 三本木の道の駅で見た「炭石」を運んだという三輪車。 |
三本木の道の駅でコーヒーを飲む。
200円で何倍でも飲めるのだが、さ すがに一杯で終了。 デジカメで写真を撮ったのはいいが、
失敗と幸運が一緒にやってきた・・・。 |