2003.3.15〜16の旅行 
1泊2日 (マラソンに出るための旅行で、最後の日に少しだけ福島市を探索)
福島サンルートまで、約430q。

12時出発  17時到着
途中北上金ヶ崎(220q) 菅生(362q)で休憩

   
宿泊したホテルサンルート

 駅まで5分程という立地条件のよいところである。
何よりよいのは、阿武隈川を散歩しようと思えば、
数分(県庁裏までだと7、8分)で行けることであ
る。
 晩酌セット(生ビール一本と定食)と朝食がつい
て7000円というのは格安である。
 ほとんど申し分がないが、部屋が少し狭いのが
何とも・・・・。 

阿武隈川沿いの遊歩道

 次の日のマラソンに備えて適当な場所を探してい
て見つけた。
 ホテルの人の話では、県庁裏に小さな公園がある
だけとということだったが東屋や駐車場を走ってい
て見つけた・・・・。
 ここは素晴らしい。橋二つ分走って往復で約3q
こんな所を毎日ジョギングできたら最高である。


 
 
川俣町の体育館
 早めに着いた(福島から30分ちょっと)ので開会式にも出た。町長をしてい
る方が、以前このクロスカントリーの役員をしていたというのは興味深い。
 高台にあるので、スタートしてからかなり坂を下ることになる。500メートル
くらいであろうか。その後左手(体育館裏側)に向かい、死の登り坂が始ま
る。写真は帰りである。
 この町に入った瞬間から嫌な予感はしていた。起伏に富んだ町である。
 クロスカントリーが単純なマラソンでないということに気がつかないほうが
悪いのである・・・・。
 この町は古くから絹の町として有名であった。道の駅になっている「シルク
ピア」 。隣に「かわまた織物展示館」があった。(時間の関係で探訪出来な
かった。)
古関裕而記念館
 ここで小関裕而と出会えたことが嬉しい。この館内に流れる数々の懐かし
い曲を聞いて「目から鱗が落ちる」思いがした。約5000曲を作曲したという
が、その一つ一つの曲は、詩を最大限に活かしながらも、作曲者の想いが
如何なく発揮されている。
 詩を深く読み切り、そして独自の作曲をするいう小関裕而独特の音楽哲学
が存在するような気がする。

 言いたい言葉があって、その言葉にメロディーを当てはめるだけ・・・・・曲
そのものに独自の主張が全くない・・・・・そんな歌が巷にあふれている昨今
である・・・・。

小関裕而の書斎 
 驚いたことに、書斎をそのまま移設したというこの一角に楽器がない。
 楽器なしで作曲していたのである。考えてみればこれほどの作曲家で
ある。書斎にいて、考えついたメロディーをそのまま記譜できたのである。
(絶対音階を持っていたので)

 ところで、小関裕而は、戦前に勇ましい軍歌をたくさん作曲したということ
で、偏った評価を受けることもあるが、そのことによって作曲家小関裕而を
過小評価するのはおかしい。
 館内に流れる二十世紀の名曲、「長崎の鐘」を聴きながら、この偉大な
作曲家の生涯に想いを馳せる・・・・・。

 文字摺石が福島にあるのを知らなかった。古今和歌集に、左大臣源融と虎
女の悲恋を詠んだ「みちのくの忍ぶもちずり誰ゆえに みだれそめにし 我な
らなくに」の句があり、都人は歌枕として、みちのくに想いを馳せた。
 松尾芭蕉が、この地を訪れ、「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」の句を
残した。この句は左の主審の奥の方にある。
 文字摺石は、拝観しなかった。
                                                                     
   
 この入り口右側に松尾芭蕉の像があった。 三本木の道の駅で見た「炭石」を運んだという三輪車。
  
 三本木の道の駅でコーヒーを飲む。
200円で何倍でも飲めるのだが、さ
すがに一杯で終了。

 デジカメで写真を撮ったのはいいが、
その後、道の駅にカメラを忘れてしま
った。15分近くも走ってから気が付き
慌てて引き返したら・・・・・まだカメラ
がテーブルの上にあった・・・。

 失敗と幸運が一緒にやってきた・・・。