錦 木 塚 ・ 鹿 角 市
 
 
小坂町を過ぎ、鹿角に入った辺りで見つけた・・・こんな発見は何より嬉しい。 
隣接している資料館は休日なのに、留守の方がわざわざ開けてくださった。感謝!
 
 錦木塚伝説はいろいろあるが、その代表
的なものは次のような話である。
  (鹿角市制30周年記念冊子から)

 昔、鹿角の習慣として、想う女の門に錦木を
立てた。逢いたい男の立てたものは七日のう
ちに取り入れ、逢いたくない男の立てたもの
はそのままさし置いた。
 
 ある村の美女を男が見そめて、錦木を門に
立てたが、取り入れられない。百夜立てても
取り入れられず。なお三年近く立てたが駄目
だった。
 娘は男の心を哀れと想ったが、父母の許し
がないので朝夕憂いに沈むばかり。
 男は毎夜通ったが逢うことは出来ず、双方
思い煩い、恋焦がれて、ともに果ててしまっ
た。父母は深く悲しみ、男女と錦木を同じ塚に
埋め錦木塚とした・・・。 

             
 錦木を立てるという風習が京都に伝わり、歌枕として使われるようになった。

能因法師
  錦木はたてなからこそ朽ちにけれ けふの細布むねあわじとや(後拾遺和歌集)
大江匡房
  思いかね今日立てそむる錦木の 千束も待たで逢うよしもかな(詞花和歌集)
賀茂重保
  錦木の千束かぎりなかりせば 猶こりずまにたてましものを (千載和歌集)
藤原家良
  みちのくのけふの都に織る布の 狭きは人の心なりけり(夫木和歌抄)

 そのほかたくさんの和歌集に、錦木を歌枕にした和歌が載っている。

 

錦木塚で見つけた句碑・・旅人よ はたおる虫や 姫の塚
 

←  菅江真澄は鹿角を三回訪れているという。
      「菅江真澄遊覧記」の中で、錦木塚にふれている。

 
 

  大湯ストーンサークル
                
 昭和6年に発見され、数多くの謎を秘めて注目された。
 内と外に二重の輪を描くように並べられた帯状の組み石です。
なかでも最も整備されているのが野中遺跡の「日時計状組石」
   

 

  田道将軍陣没の石碑
         
大湯ストーンサークルから鹿角に向かう道で偶然発見!!