秋 田 県 南
   
 
    
横手市 遠い遠い親戚の方がこの街に住んでいる。
       車で行ったのは3回ほど。

       平安の風わたる公園
      後三年の役の古戦場である。
      雁の乱れを見て、近くに伏兵がいることを知り、これを打ち破った源義家の逸話が
     語り継がれている。名将とされた義家の面目躍如というところである。
      ただ、嬉しいのは場所が出羽の秋田であるから、侵略された清原氏の無念さにも
     焦点をあててくれるところ。(征服された蝦夷への私の思い入れは「本棚」のHPの豊
     田有恒篇を参照。)     

 

 

        後三年の役金沢資料館
      後三年の合戦の絵巻き(模写)を陳列しているほかは、たいして見るものもない、小 
     さな資料館なのだが、私との因縁は深い。家族で日光から南東北を回っての帰り、
     「なんとか間に合ってくれ・・・」という願いも空しく、ここに到着したら閉館になっていた。
     2回目は横手の城と平安の風わたる公園を見に行っての帰り・・・・これも僅差で遅れ
     た。何故午後4時で閉館するのか。
      ようやく3回目。秋田で仕事を終え、十分の余裕をみてようやく入館を果たした。執
     念を貫いて入った資料館にあったのは、些かの展示物と絵巻きだけ。力が抜けてしま
     った。

    金沢の柵
      清原氏がここに立てこもり、源義家と押し寄せる関東武士団を相手に渡り合ったが、
     食料が尽きてあえなく敗れ去った。中央からの侵略者と果敢に戦った勇者も負けれ
     ば「愚か者」と成り果てるのが世の常である。侵略者義家の名声は高まり、真実は
     闇に葬られる・・・・・・・・・・。(源義家は納豆の発明者にもされているから凄い!)

    不幸な話
      資料館を出て、柵跡をめざして山登り。やれやれ・・・。車を止めてひと気もない「史
     跡」の看板をあちこちと読む。やがて車に引き上げ、スタートしたのはいいが、ふと思
     い付いてもう一度写真でとろうか・・・・と駐車のやりやり直しをしたのがまちがいのも
     と。ちょうどやってきたパトカーの警官と目が合って・・・・職務質問
     ひと気の無い薄暗い場所に青森ナンバーの車。なにやら、慌てたようにへんてこな駐
     車の仕方・・・・・・・これでは職務質問もやむを得ないところである。
 
      もとより悪いことはなにもしていないのだから、恐れるものはなにもない。
     ところが、なんと「OOがない!」 
      出張で、別な服を着ていた・・・・・・・・・。その後どうなったか・・・・・・・。
                                    これがなんと、どうにかなった・・・。
   

 

     「後三年駅」 
        地元の人にしてみれば呼びなれた駅名かもしれないが、他から訪れた人には
       一瞬驚かされる・・・・。かの有名な戦いが駅名になつているのである。
        「後三年の役駅」だと煩わしいので、「役」をとったのかと邪推したりする・・・・・・。
       

       
角館町 訪れた回数は少ないような気がするが強く印象に残る町である。
       桜の頃も綺麗。

     武家屋敷
       歴史的な街並みの保存に国が力を入れているため、藩政時代のそのままの武家
      屋敷がそのまま現存している。弘前の武家屋敷とは比較にもならない。

     平福記念美術館
       武家屋敷群の中にひっそりと佇んでいる。ここの出身の画家が多いことがわかる。
       「解体新書」の表紙と挿画を描いた秋田蘭画の小田野直武が角館の出身である。

     
田沢湖町  ここが県南かと言われれば・・・・・・。 
      田沢湖には年に数回行く。ハーブ園を見て、近くの天井が高いレストランで食事か 
      喫茶。その後ひた走りに走って家に辿り着くのである。信じられないかもしれないが 
      これが結構可能なのである。 
    
神岡町  ここにも遠い遠い親戚が居る。かなり昔商店街主催?の祭りのようなものがあっ 
      て飛び入りでカラオケをやったら賞品を貰った。 
        いちどじっくりと探訪してみたい気もしているが・・・・。 
        
     
増田町  この町にちょっとした知り合いが引越ししていった。
       釣りバカ日誌の「矢口高雄」の出身地を一度は訪ねてみたいと思っている。
      
西仙北町  秋田市を過ぎて大曲を近づいた辺りにある町  
    
写真は西仙北ぬく森温泉「ユメリア」
 ここの露天風呂からは、遥かに 
広がる秋田の平野部や山並みが 
見渡せる。ゆったりとくつろぐには 
最適な場所である。 

 さらに南下して雄勝町の小野小 
町関連の史跡を訪ねようと思った 
のだが、時刻が5時近くになって 
しまい断念。 
 テレビに入っていたベルリンマ 
ラソンで高橋尚子選手が快走す 
る姿を少し見て帰路につく。 
 ここから少し南下して左手に入 
ると、角館への近道である。角館、 
田沢湖、花輪・・・・・ひた走り。 
 高速にのればほとんど帰り着いた 
気分・・・・。


 
 角館から横手に向かう道の途中で払田の遺跡に出会う

 この払田の柵は、史実に登場しないので、その役割が不明であるが、
規模の大きさからいって、平安時代に重要な役割を果たした政庁であ
ることは間違いない。航空写真を見ると、田園地帯に突然登場したよう
な感じがする。
 これだけに空間に公園を造り上げるのも素晴らしい。

  ここをしばらく探索したために、またも「小野小町」の雄勝町に到れず・・・
 

   
 
    
雄勝町

 平成14年10月21日 ついにこの町に到達!!!
 挑戦すること3回。さすがに秋田県境までとなると遠い。 一回目はユメリアの湯まで。二回目は
払田遺跡・後三年の駅まで。
 今回もかなり危うかったが、16時過ぎに到着。薄暗くなりかけた町の看板と小町堂を撮影。道の
駅にもよっていくらかの資料をいただく。小野の小町については「伝説」にとどまっているようで、関
連の場所なども整備が進んでいない。写真は暗いのを修正した。

 

 パンフレットによると、平安の女流歌人小野小町は大同年間、現在の雄勝町小野字桐木田、当時
の出羽の国福富荘桐の木田に生まれ、京に上がるまでこの地で過ごした。小町は13歳の頃都へ
上りその後、20年ほど宮中に仕え、時の帝から寵愛を受けた。いつしか故郷恋しさがつのり36歳
の頃、宮中を退き生地小野に帰り、庵を結んで閑居し、歌に明け暮らしたという。
 その後深草少将との逸話を残し、晩年は世を避け、一人岩屋洞にこもり、香を焚きながら自像を
彫り続け、92歳で没したと伝えられている。

 小町まつり
 古くから小町塚で行われている。例年6月第二日曜日に行われ、全町から選ばれた七人の小町
娘が七首の和歌を奉納する。

 小町関連の史跡
 伝説のためか、ほとんど整備されていないようだが、パンフレットによれば次のようなものがある。
   ・小町が過ごした岩屋洞(車で10分 さらに徒歩で15分)
   ・小町が刻んだ自像がある向野寺
   ・小町が顔を洗ったといわれる泉のある磯前神社
   ・小町誕生地・産湯を使った井戸
   ・百夜通いをした少将の仮住まいの地。小町の建てた碑がある。
   ・小町の父良実の菩提寺

 雄勝町からの帰りは、横手から秋田自動車道を通って北上に抜け、東北自動車道へ。
 秋田自動車道は対面通行で二車線。夜に雨の中を走って大変だった。