<聖徳太子について勉強するリエちゃん>
<五重の塔へ向かうリエちゃんたち四人組>四人は、五重塔のある最勝院を探険することにした。 青空にくっきりとそびえ立つ五重塔。歴史の街弘前のシンボルである五重 塔を右手 に見ながら、坂を登っていくと左手に十五段ほどの石段がある。こ の石段を登り切っ た所がちょっとした広場になっている。 <太子堂発見!>奥まった所にあるのが、太子堂だ。 杉や松の木に囲まれひっそりと佇(たたず)ん でいる太子堂。高さが五メートル程で、四方に屋根を備えた小さな お堂である。 周辺 に同じようなお堂がいくつか並んでいる。 太子堂と書かれた石碑 の近くに説明の看板が立っている。りえちゃんたちは近寄 って読んでみた。 教科書に書いてあったのと似ているようなことがあった。 摂政、十七条の憲法、冠位十二階、大陸文化の導入、法隆寺の建立
<太子講は職人の会>・太子講は、大工・左官などいろいろな職人が集まって作っている会である・県内にもほとんど例がないようだ ・1年に1回集まり、ご祈祷(きとう)する。 百人を超える会員がある。 (今年は 七十人程参加) ・最勝院は銅屋町・鍛冶町・桶屋町など職人の町に近い。 ・太子堂がいつごろ建てられたかははっきりしないが、かなり古くから、 大 工の人たちを中心に信仰されてきたことは確かである。 <聖徳太子が祀られるようになったのは?>はっきりしないが、聖徳太子は建築・土木をはじめ、いろいろな文化を積極的に取り入れた。それが人々の心に深く残り、学問や技術を学ぶ人々の 目標として、また、守り神としてまつられるようになったということらしい。 太子堂の近くには仁王坂がある。古い石段が続き、由緒ある最勝院の歴 史を偲(しの)ばせている。(1997.6.1) |