松蔭(しょういん)室を訪ねて

 

 養生(ようじょう)幼稚園にある松蔭室
 

  春休みが始まった三月下旬のある土曜日、ジュンちゃ

んとお父さん たちは元長町に松蔭室を見学に出かけた。

「弘前城のようにみんなが行っている所ではないけれど、

 とても大事 な史跡はないの?」

   歴史を勉強しているお姉さんのユミちゃんのたのみで、お父さんがさがし出したのが,

『養生幼稚園』にある松蔭室である。場所は青森銀行記念館の裏手のあたりで、おいし

いそばで有名な高砂なども近くにある。
 
 

  吉田松蔭の弘前来訪


「松蔭は長州藩(今の山口県)の生まれで,江戸時代の終わり頃に活躍した人物です。

新しい日本をつくろうという強い情熱を持った人で、自分はこころざし半ばで亡くなり

ますが、弟子の中から明治維新で活躍する人がたくさん出ています。」


   養生幼稚園の園長をしておられる高橋先生の説明は、くわしくてとてもわかりやすい。

「松蔭が弘前市にやってきたわけは,そのころロシアの船が津軽海峡にあらわれたという

ことで、北方海岸の警備のようすを見学することでした。また、津軽に伝わる山鹿流にふ

れることも目的の一つだったようです。

(山鹿素行の子孫の方は現在も弘前に居られます。)

   松蔭は津軽藩の儒者で勤王のこころざしを同じくする伊東広之進を訪ねました。広之進

はこの部屋で松蔭を迎え、海防の話や日本の行く末を熱心に語りました。津軽の海岸線は

五十里で砲台が大間越、小泊、竜飛、三厩、青森などの九ヵ所にあるが、わずかの兵で非

常に心配であるということなど・・・・・」


   古い部屋の中で、静かに高橋さんのお話をうかがっていると、日本の国の行く末を真剣

に話し合う松蔭と広之進の二人の心が伝わってくるようです。お姉さんのユミちゃんと違って、

ジュンちゃんが歴史を勉強するのはまだまだ先のことです。でも、ジュンちゃんは吉田松蔭と

いう人物に強く興味をひかれました。

   江戸へ帰ってからペリーの黒船に乗ろうとした話もおもしろそうです。

 

    吉田松蔭の旅

 
  碇ヶ関からはじまり弘前から津軽半島を北へ縦断、青森、野辺地、三戸と十日ぐ

らいの日数をかけて青森県を旅しています。   

  松蔭が通った津軽半島には「松蔭道」と呼ばれる遊歩道があり、今も松蔭を偲ん

で訪れる人が多いということです。

   

   司馬遼太郎が松蔭室にが来ていた

 
 お父さんの読んでいる司馬遼太郎の本に、松蔭室のことが紹介されています。お父さん

がそのことを高橋先生にお話したところ、記録帳を見せて下さいました。「司馬遼太郎 

1994年1月8日ここに来る」とありました。お父さんはとてもうれしそうでした。

 幼稚園の主任の鈴木先生が、タカちゃんに

「禎明君や武房君は元気ですか」

と聞いていました。タカちゃんは友達がここの幼稚園に入っていたことがあるとわかって

びっくりしたようでした。

 ジュンちゃん、タカちゃん、おねえさん、お父さん、それぞれにおもしろい発見のある探

険でした。ジュンちゃんは次の探険をとても楽しみにしている。(1996.3.24)


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