ジュンちゃんの探検弘前・旧階行社

 

   

後藤伍長の銅像を探険

 ジュンちゃんたちの歴史の勉強も明治時代後半

から大正・昭和時代へと進んできた。
 
 八甲田雪中行軍のことを中心に、日清・日露戦

争のこともわかってきた。学級の友達の中に

は休みの日に「後藤伍長の銅像」を探険に行った

人もいる。その中の一人、トモちゃんは銅像茶屋で買った雪中行軍遭難記録写真集をみんなに

見せていた。
 
 また、貴船神社で日露戦争の石碑を見つけた友達があった。門外の神社で見つけた友達もあ

った。

   軍隊や大正時代関連の史跡はないのかな?

 
 青森県の歴史という本を調べてみると、明治二十九年に弘前市に陸軍の第八師団がおかれた

ことがわかった。富田や松原に軍隊関係の建物がたくさん建てられたらしい。じっくりと探せ

ばいろいろな史跡がありそうだ。

   旧階行社を発見!

 
 観光館から戴いたパンフレットを一生懸命見ていたジュンちゃんが見つけたのは、旧階行社

である。 
 
 探険好きのジュンちゃんはさっそく秋風を切って自転車に乗る。二大小から約一分。御幸町

の住宅街の中に静かにたたずんでいるのが旧階行社である。門の所に立てられた看板を読んで

みると次のようなことがわかった。

 ・江戸時代には九十九森と呼ばれ,鷹(タカ)狩りをする場所だった
 ・津軽藩の殿様の庭園や別荘にもなった 
 ・明治時代、階行社という陸軍将校の団体の敷地となった
 ・明治時代、皇太子( 大正天皇)が訪問。

記念館・遑止園探険!

お父さんが電話で予約をしてくれたので、

特別に建物の中や庭園を見ることができた。

記念館は明治四十年に建てられたもので、

モダンな洋風建築である。この建築に関係

した堀江佐吉は青森銀行記念館をはじめ数

々の西洋風建築物を造った県内一の棟梁で

ある。庭園も素晴らしい。大正天皇が若い

時にこの庭園をご覧になり「心がとても休

まる」ということから遑止園(コウシエン)という名前をつけられたそうだ。樹齢百年を超すとい

うという桜の紅葉を見ているとそのお気持ちがよくわかる。

 

八甲田雪中行軍の映画の撮影に使われた!

 案内して下さった田村さんのお話によると

階行社は陸軍の将校(ショウコウ)のために建てら

れたもので、パーティーやいろいろな会合に

使われたらしい。全国に階行社の建物があっ

たが、現在残っているものは少ない。ジュン


ちゃんたちが社会科の時間にみた八甲田雪中行軍のビデオに階行社が使われたということを

聞いてびっくり。
 
 現在の階行社はみどり保育園の子ども達や弘前厚生学院の学生の行事に使われている。

(遑止園では運動会なども行なわれているのである。)
 
 友達のカエ・ショウ・ユメちゃんがみどり保育園に入ったことがわかって、またまたびっ

くりするジュンちゃんであった。

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