弘 前 市 ・ 史 跡 探 検 |
堀 江 佐 吉・ |
明治時代、洋風建築を多く手がけた名工です。。
「棟梁堀江佐吉翁記念碑」が、最勝院の境内に建立されています。 高さ約7メートルにも及びます。 |
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聖 徳 太 子 堂 ・ |
聖徳太子は法隆寺など多くの建造物に関係しています。
そのことから「大工の神様」とされています。 最勝院に聖徳太子堂があります。 |
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明治天皇ご巡幸石碑・ |
明治天皇は列車のない時代に、全国をご巡幸された。
弘前市では小学校の授業を天覧され、裁判所も訪れた。 現在、大学附属病院、裁判所に「石碑」が残されている。 |
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鏡ヶ丘記念館・ |
明治26年に青森県尋常中学校の校舎として川元重次郎によって建てられました。
木造二階建ての洋館で、弘前高校の敷地内にあります。 |
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旧弘前階行社・ |
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藤田記念庭園・ |
弘前市出身の藤田謙一氏が大正八年に別邸を構える際、
東京から庭師を招いてつくらせた江戸風な景趣の庭園です。 坂の下に庭園が広がっている。ここからの岩木山の眺めは素晴らしい。 |
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青森銀行記念館・ |
明治37年(1904年)旧第五十九国立銀行本店本館として建てられました。
設計者は、洋風建築の名工と言われた堀江佐吉です。 左右対称で調和よく建てられており、防火のために細かい工夫がなされています。 |
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日本基督教団弘前教会・ |
明治8年(1875年)に創設された東北最古のプロテスタント教会です。
東奥義塾の塾長・本多庸一が初代牧師となって、津軽一円にキリスト教を 広めたとされています。 設計は桜庭駒五郎、施工は堀江佐吉の子、斎藤伊三郎の手によるものです。 |
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武家屋敷・ |
石場家 笹森家 伊東家・ |
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弘前城・公園・ |
東門・亀の甲門・為信公像・ほか |
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松 陰 室・ |
長州の吉田松陰、宮部鼎蔵が、津軽藩の儒学者伊東広之進(号梅軒)宅を訪ね
て藩の軍事や教育、これからの国の行く末を語り合った。 明治39年、伊東広之進旧宅を隣家の医師伊東重が購入してここに養生幼稚園を 創立し、松陰らが会談した部屋を「松陰室」と名付けた。 |
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貴船神社・ |
太貴船神社は全国にある。本社は京都府・鞍馬神社の近く。
ここから歴史が見えてくる。 |
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太宰治学びの家・ |
太宰治(津島修治)が、昭和2年4月から5年3月までの多感な弘前高校時代を
過ごした家です。 藤田家は津島家の親戚筋にあたり、修治が暮らした部屋や使用した机などが そのまま残されています。 |
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奈 良 美 智 |
国内外で活躍する青森県出身の美術作家。 |
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