都母の石文(つぼのいしふみ)
征夷大将軍坂上田村麻呂がアテルイの乱を
鎮圧するため東北に赴いた時、弓のはずで、巨
石に「日本中央」と刻んで建立したと言われて
いる。
その後、源頼朝や西行法師など多くの歌人が
「つぼのいしぶみ」を題材とした句を詠んだため
に、京都の文化人の間でつとに有名であったと
言う。
天明8年(1788)この地を訪れた菅江真澄が
所在を探したことや、明治9年、東北巡幸され
た明治天皇が「田村麻呂の石はどうなったか」
と尋ねたことがあり、大久保達が探したという。
(明治天皇の東北ご巡幸については、別記)
碑が保存されている「保存館」の周辺には俳
人金子兜太氏、歌人近藤芳美氏の歌碑なども
建てられている。 |